饒舌映画ブログ

誰もが、映画をめぐってひたすら饒舌であったときの快楽を知っている。同時に、その果てに待ち受けている徒労の実感をも体験している。映画によって言葉を根こそぎ奪われた瞬間の無上の甘美さをたぶん、あなたは知っているだろう。そして、その沈黙にいつまでも耐え続けることの息苦しさをも知っているに違いない。欠語と饒舌のいずれを選ぼうとも、救われたためしなどかつてありはしなかったのだ。――『リュミエール』誌 《創刊の辞》より

ジョナサン・グレイザー監督『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』

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『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(Under The Skin, 2013)ジョナサン・グレイザー

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「ずいぶんとまあ、批評家受けしそうな映画だ」というのが、この『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』を見終わったあとに、日本各地の映画愛好家たち――『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』を見ている時点でその人も批評家予備軍みたいなものではないか、という話はひとまず置いておくとしても――が抱くであろう、標準的な感想だろう。実際、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』は「批評家受けしそうな」映画であるし、2010年代の作品ではずば抜けて高い評価を批評家たちから与えられている。いちいち数えたりはしていないが、2010年代のベスト・リストを順位ごとに点数化し、集計すればまず間違いなくこの『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』がトップに来るだろう。

 

それならそれでいいではないか、というのが、やはり、この文章をここまで読んだ人が抱くであろう、標準的な感想だろう。しかし、1本の映画が、「批評家受けしそう」などという、お世辞にも心からの称賛とは言い難いどこか冷笑的ですらある言葉を、苛立つこともなさそうに黙って受け止めている事態を、果たしてどのように考えたらいいのだろうか。あるいは、1本の映画を、特段の罪悪感もなく、「批評家受けしそう」などと言ってしまえる自身の軽薄さにどうやら苛立ちそうもないわれわれは、その軽薄さをどのように考えたらいいのだろうか。

 

 

いかにも批評家が嫌いそうな手順で説明するならば、この『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』が「批評家受けしそうな」理由を具体的に指摘するのは容易い作業である。

 

まずは、その圧倒的な「説明のなさ」だ。これは単に、ナレーションやテロップでの補足的な説明や、台詞での直接的な説明がない、というだけの単純な話ではない。デクパージュ、つまりショットの配列が徹底的に「説明」を避けているのであり、もっと言えば悪意をもって観る者を混乱させようという意図すら感じる構造になっているのだ。

 

冒頭、まずは透き通るような白地――これは、ラスト・ショットでカメラに積もり始めていた雪のイメージなのだろうか――に、黒いシンプルなフォントでタイトル「アンダー・ザ・スキン」が浮かび上がったあとのことを思い返していただきたい。辛うじて山間部の山道だと認識できる程度の明かりだけが残る闇の中を、速度を上げて走り抜ける光源――バイクだ――が映され、それがトップスピードで疾走する様子を真正面からしばらく捉えたのちに、こんなところに何の用があるのだというような場所でバイクが停車する。男は薄暗い階段ないしは土手を降り、暗闇に消える形で――これが劇中で何度も繰り返されるイメージであることを、この時点でのわれわれは知る由もない――カメラから消えるが、すべてを承知したような様子で女の死体を抱きかかえて戻って来る。

 

そして、その死体を近くに――おそらくは計画的に――停車してあったトラックの荷台へと首尾よく運び込むと、次のシーケンスでは真っ白く光に包まれた空間で、謎の女(スカーレット・ヨハンソン)が、女の死体から衣類を剥ぎ取っている様子が映される。この死体がいかなる理由で死体となったのか、バイクの男がなぜ死体の在り処を知っていたのか、そしてバイクの男と謎の女とはいかなる関係で、あの白い空間は何なのか。映画は何も説明せず、このシーケンスは女の死体に付いていた蟻の超クローズアップで終わり、バイクで立ち去る男とトラックに乗り込む謎の女の姿を一応映した後で、気づけばショッピングモールの中にカメラが飛んだりする。

 

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また、この後は、スコットランドの陰りのある街並み――映画の審美性に敏感過ぎると言うべきか、アスファルトはほぼすべてのショットで抜かりなく濡れている――の路上で、トラックから通行中の男に謎の女が声をかけ、美人局の要領でアジトへと誘い込み、アーティスティックに「捕食」していくという、単に空腹を満たすための「作業」なのか、バイクの男に命令されての「労働」なのかは不明だが、いずれにせよ義務的な手順をひたすら反復していくことになる。デクパージュ上の混乱は、この機械的な反復を逆手に取った戦略であり、例えば、助手席に乗った筈の男が、フェードアウトもなく直接的に連続する次のショットですでに(なんの描写も説明もなく)いなくなっていたり、あるいは逆に、前段の誘いのショットがないまま、突如として助手席に見知らぬ男が乗っていたりするのだ。

 

また、中盤あたりだろうか、謎の女が次なる獲物と思われた男と一軒家の中への消えていった次のシーケンスで、あの「捕食」用の暗黒空間が映されれば、どんな人でも漆黒の沼へと沈んでいく男の姿を予期する筈だが、ここでもいくつものショットが無数に省略されており、気づけばあのバイク乗りの男が登場し、謎の女の裸体や眼球を細かく「点検」する様子が映されたりする(よく見ると、その暗黒空間には現実の建物の一部である「床」があり、「捕食」のための沼ではなかったのだ)。こうしたショットの過剰な省略によるデクパージュ上の混乱作用、これが『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』に通底する「説明のなさ」の際立った特徴と言えるだろう。

 

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とは言え、こうした「説明のなさ」を倒錯的に楽しむことが、この映画を観ることにおいてそれほど高度な反応とは思われない。つまり、「分かりにくさが分かりやすい」のであって、「批評家受けしそうな」といういささか冷笑的な言葉は、この映画の「分かりやすい難解さ」を理解する人びとに向けた嫉妬の言葉たり得ず、どうしたってそれを「分かりにくい難解さ」として素朴に受け止めている人びと――「実験的な」というのが、彼らのあいだでの定番の評価である――に対する同情のニュアンスへと近似せざるを得ないのである。

 

また、この「分かりやすい難解さ」は、もちろんデクパージュ上の混乱のみに表出しているわけではなく、いくつかの場面では逸話的にも「分かりやすく」演出されているように思う。

 

特に、人気のない浜辺に遊びに来ていた家族が、波にさらわれ沖まで流されてしまった小さな子供を助けるために、父・母ともに溺れてしまう印象的なシーケンスがあるのだが、彼らを助けに行ったサーファーの男――「獲物」として一度目につけた男である――が疲れ切ったところを襲い、気絶させ、「捕食」のためにトラックまで運ぶ謎の女の横で、わんわんと泣き続ける赤ん坊(と、それを無視する謎の女)がわざわざ映されたりするのである。おまけに、不都合な物件の撤去に来たバイクの男が浜辺に現れる場面まで用意されており、そこでも「分かりやすく」、取り残された赤ん坊とそれを無視する男の構図がわざわざ反復されるのは言うまでもない。

 

劇中の音楽にも同様の理由、つまりは「分かりやすい難解さ」をもって否定的に接することもできなくはないが、少なくともポール・トーマス・アンダーソン監督の力作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を担当したジョニー・グリーンウッドの緊張感を欠いた「誇張」の演出に比べれば、本作を担当したミカチューの賢明さとセンスははるかに――相対的に、と断らざるを得ないものの――評価することができるだろう。

 

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けっこう文字数がかかってしまったので、後半の物語的な(ないしは寓意的な)展開についてはコメントを省略しよう。「感情を持つことが禁じられた存在がそのルールをふと破ってしまうことによるトラブル」というメロドラマ的な流れは、人工知能等を題材としたSF作品にいくらでもありそうだし、総合的に捉えても、「女性に対して男性が持つ畏れの古典的な表現」という批評が出るのも理解できなくもない。また、構造的に見れば、謎の女の「捕食」も美人局的な、ある意味では極めて通俗的な手法で行われており、しかもそれを裏で「管理」する男の存在が――やはり、「分かりやすい分かりにくさ」で――描かれている点を踏まえれば、現実の性風俗産業の一場面をSF的にトレースしたものだと言えなくもない。女はここでも利用され、搾取されているのである。

 

いずれにせよ、「批評家受けしそうな」という常套句をついこぼしてしまいたくなるわれわれの分かりやすい安易さと同じくらい、この『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』に通底する設定上の/デクパージュ上の/逸話上の/音楽上の抑制(=ある種の難解さ)は分かりやすいのであり、かと言って、その倒錯した「分かりやすさ」を作家の愛すべき不完全性として肯定し得るほどには、この映画との親密かつ甘美な接点は見出せなかったことだけ最後に告白しておきたい。ほぼフィックスのカメラ・ワーク(車内の様子は複数の固定カメラで機械的に撮影したようだ)が唯一、グラグラと揺れる場面の選択もまた、演出過多なまでに「分かりやすい」のである。

 

≪公式サイト≫

映画「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」公式サイト

 

≪Trailer≫