読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

饒舌映画ブログ

誰もが、映画をめぐってひたすら饒舌であったときの快楽を知っている。同時に、その果てに待ち受けている徒労の実感をも体験している。映画によって言葉を根こそぎ奪われた瞬間の無上の甘美さをたぶん、あなたは知っているだろう。そして、その沈黙にいつまでも耐え続けることの息苦しさをも知っているに違いない。欠語と饒舌のいずれを選ぼうとも、救われたためしなどかつてありはしなかったのだ。――『リュミエール』誌 《創刊の辞》より

デスティン・クレットン監督『ショート・ターム』

2010-2014 ★★★★ デスティン・クレットン ESSENTIAL (BEST NEW MOVIE)

f:id:cinemaguide:20151012174238j:plain

『ショート・ターム』(Short Term 12, 2013)デスティン・クレットン

f:id:cinemaguide:20150927200059p:plain

 

 橋口亮輔監督の『ぐるりのこと。』をめぐって、宮台の言う社会的な「包摂」のことを少しだけ考えた。

 

 

 宮台の著作は売り払ってしまったものも少なくないので、記憶を頼りに雑な引用をしてみるが、大筋としては、「人との関係が私的なセーフティーネットとなっていつか君を救ってくれる」、「だからコミュ力を上げよう!対人スキルを磨こう!」みたいな話だった気がする。要は、「自助と共助で乗り切れ!」という話で、これはこれで間違いなく正論である。

 

 実際、橋口監督も、教科書通りの生き方からはぐれてしまった、というか、「それは自分の幸せではない」という事実を引き受けるしかない人々の、ボロボロの、しかし愛おしい自助なり共助の在り方を描いている。彼ら・彼女らは、ワイルドサイドを歩くことで、これ見よがしにヒップな人間になりたいわけではない。「だってこれが自分なんだもん」、ただそれだけなのである。『ハッシュ!』もまさにそういう話であった。

 

 

 橋口監督は、しかも、それらの共助の在り方を、「正解」や「理想」として描いているわけではない。それが橋口映画の美徳である。「あったらいいな」という慎ましい願いとして、それらはフィルムに定着しているに過ぎない。とは言え、すでに指摘したように、「では、そのような共助の関係を誰とも築けなかった人々――『ハッシュ!』における、共助の輪に入れなかった情緒不安定な事務員の女や、『ぐるりのこと。』で法廷に立たされ、「世の中すべてから謝って欲しい」と主張した若者たち――は、どのように生きていったら良いのだろう?」という疑問が残るのもまた事実である。

 

 宮台的な「スキル主義」が肥大化した時にイメージされるのは、対人的な競争社会であり、そこに敗れた人たち、あるいは「レースに参加することすら叶わなかった」人々の寂しい後ろ姿である。つまり、残された「公助」の部分について、やはりわれわれは諦めてはいけないのであって、それを求めて政治的に運動するか否かはまた別の問題として、個人的な対人関係の外側から誰かが手を伸ばしてくれる仕組みを現実的に考える必要がある。「すべり台」の底まで落ちて行ってしまう前に。

 

***

 

 1978年生まれの新進気鋭、デスティン・ダニエル・クレットン監督の『ショート・ターム』は、そんなことを少し考えさせる作品でもある。舞台となるのは、様々な事情で「普通の」家庭生活を送ることが難しくなった十代の子供たちを預かる施設「Short Term 12」であり、端的には、当事者の側からカメラが回されていたグザヴィエ・ドラン監督の、決して悪い出来ではなかった『マミー』において、「漠然とした悪、漠然とした不理解」として――ある意味では一方的に――描かれてしまった「福祉」、つまり公助の立場からの作品になっているのである。

 

 『ショート・ターム』が意識的にカメラに収めるのは、しかし、頼りがいのある大人たちが頼りない子供たちのことをケアする姿、ではなく、むしろ施設に預けられた子供たちと同じくらいに頼りないスタッフたちの悪戦苦闘する日々である。インディペンデント映画らしいダイレクトなカメラ・ワークが見つけ、捉えるのは、子供が置かれた状況に入れ込み過ぎ、公助の枠を飛び越えた領域にまで危なっかしく踏み込んでしまう女性スタッフや、母親へのありったけの愛憎を込めたラップを子供に披露され(名シーン!)、かける言葉を何一つ見つけられない男性スタッフの姿だ。しかも、その二人はハラハラするほど不安定なパートナーの関係を結んでいる。

 

 「包摂」とか「福祉」とか言うと、強者が弱者を抱きかかえ、プロテクトするような関係性をイメージしてしまうが、『ショート・ターム』においてそれは、「男が女を」だとか、「親が子を」とか、「大人が子供を」とか、「年上が年下を」とか、「福祉が児童を」とか、そういった非対称な形を取っておらず、どっちがどっちをケアしているのか、ベクトルの向きは次第に曖昧になっていく。

 

 つまり、公助として用意された筈の仕組みの中で、当事者同士の自助であるピアサポート的な関係性が自然発生的に形成されているのである。「いやいやいや、それで給料もらってるならちゃんと専門的なケアをしてあげろよ」というツッコミもあるだろうが、しかし、「スキル」や「努力」ではない場所から生まれるぎこちない包摂の「一つの形」の描き方として、その誠実さからジワリと広がる射程が『ショート・ターム』にはある。

 

 ≪Trailer≫